「お金」という道具は本当に便利です。
同時に「数字」というツールも本当に便利です。
この2つが組み合わさり、「交換の仲介」という役割を担ったことが
さらにその便利さを強化しています。
食べ物や本などの「モノ」にで形を変えたり
電車やバスに乗って「時間」を作り出すことができたり
絵画や書道、昔の建築物を見て文化、表現などの人の気持ちに触れたり・・・。
「お金があればできること」を挙げると
キリがありません。
かつては私は、税理士事務所や一般企業で経理・財務の仕事をしていました。
一番の楽しみはお金の動きから垣間見れる
「その人らしさ」に触れることでした。
活動の形を変えた今でも、お金を通して垣間見れる
「その人らしさ」に出会えることが一番の楽しみです。
「値段」って何を基準に付けられているんだろう
と考えると、本当に面白いな・・・と思います。
たとえば、食べ物は「生きるために必要なもの」ですが
1食で何万円もするような高級料亭の食べ物も、1食何百円の給食も
どちらも「食べ物」です。
服でも何十万円、何百万円もの値が付いている服もあれば
数百円で買える服もあります。
無料で提供されているものもたくさんあります。
「広告宣伝費」としてお客さんを誘導しようと考えている場合もありますし
「経験を積ませてもらうため」の意味の場合もあります。
ボランティア活動として喜びや、やりがいを得るための場合もあれば
趣味だから、という場合もあります。
理由は様々ですが、何らかの気持ちが根底にあると思います。
髙くても「この人だから!!」と、相手に共感して購入する時もあります。
「自分がこうなりたい!!」と、自分を満たすために購入する場合もあります。
払うことが当たり前のようになって
特に感情を伴わない支払いもあると思いますが
深く考えると、一番最初の気持ちに気づけるのではないかと思います。
きっと物々交換の時代は、
「その人を信じるか」「物の価値をどう考えるか」
の判断要素がとても大きかったと思います。
今、お金になってその判断要素が「数字」に統一されて
様々な思いに触れる機会が減ったり、
システムが単純化されて便利になった分、
思いが伝わりづらくなったのかもしれません。
キャッシュレスが進み
お金を使う感覚が減ったとも言われています。
だからこそモノを見極める力や
自分にとっての価値を見極める力が、
より必要になってくると思います。
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