知識の獲得が目的であれば、学校にこだわらなくても良いと思います。
今の時代、様々な学びの手段がありますから。
それでも学校に行く意義はあると考えています。
なぜならば、人が集まっているから。
「友達は1人もいない、友達はいらない」
と思っていても、学校に行けば先生が話しかけて下さいます。
教室に行けば、1人くらいは面倒見の良い子がいて何かと世話を焼いてくれます。
コミュニケーションが生まれます。
無人島で1人、自給自足生活をしながら暮らすのであれば
コミュニケーションは不要かもしれません。
しかし、そうなる可能性の方が低いならば
必要最小限のコミュニケーションは必要だと思うのです。
自分にとって、最適なコミュニケーション手段は何なのか?
どの程度の距離感なら自分を保てるのか?
自分の中での限界ラインはどのあたりなのか?
人と接する事で、見つけて欲しいと願っています。
それが教室内でなくても、こども同士でなくても良いのです。
学校には色々な方がいらっしゃいます。
自分の目で見極める力をつける
学校はキライ。教室キライ。勉強キライ。
でも、保健室なら大丈夫。
という事は、学校全部がキライなわけではなく
保健室なら安全だという気付きに繋がるでしょう。
学校に友達は1人もいない。楽しくない。遊びたくない。
でも、守ってくれる先生もいる。
という事は、学校は100%嫌な人ばかりではない、
味方になってくれる人もいる、という気付きに繋がるでしょう。
出来事そのものは変わりません。
しかし、視点の変換でどのようにも捉える事ができます。
楽しい事と捉えても自由。嫌な事と捉えても自由です。
自分が決めれば良い。
そのような学びを身近で実現できる環境が、学校には揃っていると思います。
言われた言葉だけを鵜呑みにせず
自分の目で見極める力を養ってほしい。
そう願っています。
ただし、無理させたり、強制しないように気を配っています。
時には逃げる事も必要です。
自分がつぶれたらおしまいなので・・・。
不登校になったり、保健室登校になったり、教室から脱走もしますが(笑)
子供なりの知恵であり、必要な手段なのでしょう。
今は黙って(本人はバレないと思って)脱走しているけれど、
「少し休ませて下さい、保健室に行ってきます」と言って
堂々と教室を出ていき、保健室に行ってくれれば理想です。
その手段が、絵カードなのか、会話なのか、手話なのか。
色々な選択肢があります。
作りだす事も可能です。
色々ありますが、こどもの成長は楽しみです。
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