ほんの数ヶ月前まで、ほとんど誰も世界が今のようになるとは想像していなかったと思います。
今回の災害は、目に見えない、そしていつ終わるかわからない、という点で、これまでとの違う、とよく言われています。
私は、この災害への正しい対応を狂わせているのは、
『致死率の微妙さ』
にあると考えています。
コロナウイルスによる致死率は日本で2.3%と公表されていますが、これがもし10%台であれば、政府も国民も全く違った対応をとると思います。
この、100人中2人亡くなる。さらに、既往症を持つ方や高齢者という限定がかかることで、受け止め方にかなりのばらつきが生まれてしまいます。
3月の三連休は、私の住む宇治でも観光客の姿がかなり目につきました。安倍首相からの一斉休校が出た時の緊張感が緩んだ瞬間でした。
お金の問題と同じく、コロナウイルスも人間の心理が大きく関わる。そう考えると、この厄災は、人災、という側面もあるのかと思います。
一昨日、かつての私の教え子から相談が来ました。彼は現在某県で高等学校教員として働いています。
内容は、
コロナウイルスで世間は大変なことになっているのに、学校は普通に動き出そうとしている。自分は、もし万が一学校で誰かが感染して自宅に持ち帰り、家族が亡くなることを想像すると、このまま学校が始まってしまうことに非常に違和感を感じる。
というものでした。
前回のブログで書いたように、彼は
『学校の当たり前を疑った』
のです。
私はまず、
彼の考えていることは全く間違っていない。
たとえ僅かでも人がなくなる可能性があるのであれば、それを守ることが何よりも優先されなければならない。
もしそのことで思い悩んで精神的に苦しくなるようであれば、
「体調が悪く、コロナかもしれませんので検査します!」と管理職に伝えて休めばいいよ笑
ただ、学校は、
「生徒の教育を受ける権利を保障する」という是、もっと言えば文化があり、一方でそれもすごく大切なことだと思う。
僕が公立の教員を辞めてみて1番分かったことは、
公教育は本当に生徒本位で考えることができる。どんな時も生徒ファーストでいることは、民間では限界がある。
と伝えました。
翌日、教え子が晴れやかな声でまた連絡をくれました。
〜今日の午前中、市立の全ての学校が◯日から休校措置を取ることになりました。思うことはいろいろありますが、指示が出る前に対応してくれた管理職には感謝です。〜
まず、私の教え子を守っていただいた、教育行政の方々に感謝です。
そして、何よりも、問題意識を持ち、生徒を大切にする私の教え子を誇りに思います。
私は、公教育に育てられて今があります。外に出てみて、その有り難さを日々実感しています。
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