こども達が集まってプリンを作る事になりました。
材料(一部)にはこのように書いていました。
「牛乳・・・・・・・・・・3/4カップ」
「3/4って何?3~4杯くらい入れようか?」
「カップってコップの事?どのくらい入れたら良いの?」
「もうテキト~でいいんじゃない??」
学校では特に問題なく、計算も出来るようです。
分数が出てきます。3/4・・・・。
これが「よんぶんのさん」とは、理解しにくいようです。
しかも、カップも分かりません。
身近な所に、算数が出来ても暮らしで使えない理由は隠れています
ヒントを出しました。
「1カップは200mlだよ。200mlの3/4を計算すると良いよ!!」
こども達の拒絶感を感じました・・・・。
もっとヒントを出しました。
「計算式は200ml×3÷4で計算出来るよ。電卓使っても良いよ。」
「何で算数なん?超サイアクっ!!!」
数・計算と聞いただけで、サイアクと言われてしまう・・・。
「お料理には算数が必要なんだ、サイアク~!!」ではなく、
「お料理楽しい!!またやりたい!!」で終わらせたいですね!!
計算は、問題を解けるようになる事が大切なのでしょうか?
そもそも、なぜ数や計算がこの世に存在しているのでしょうか?
数や計算は、暮らしが便利になるように作られてきたはずです。
長い歴史の中で、私達の祖先がたくさんの苦労を積み重ねながら作り上げてきた「便利なツール」だったのではないでしょうか?現代社会に存在する、インターネットやスマホのように・・・。
それだけではありません。
数や計算が存在するからこそ、みんなが納得出来る「平等」を作れます。
こども達に、数や計算の便利さを身近な体験から学んで欲しいと願っています。
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